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歳旦祭 |
一月一日より一月十五日 |
松原市開運六社参り |
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節分祭 |
二月三日(節分の日) |
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夏祭 |
七月第三土曜日 宵宮 |
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夏祭 |
七月第三日曜日 本宮 |
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秋祭 |
十月第二土曜日 宵宮 |
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秋祭 |
十月第二日曜日 本宮 |
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七五三参り |
十一月一日より三十日迄 |
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月次祭 |
毎月一日 |



阿保神社
阿保神社の祭神は菅原道真公である。 今から凡そ1,100年程昔、京都で政治をとっていた。右大臣であり学問のよくできた菅原道真公が藤原氏のざんげんによって、太宰権之師として九州に流されて行く時浪速(大阪)にさしかかった。道明寺の尼寺には叔母の覚寿尼が住んでいたので、一夜のおいとまごいを許され往きも帰りもこの阿保の土地を通られて休息なされた。そこでこの土地に菅原道真公を祀る阿保神社が建てられたのである。
阿保親王
阿保の地名の由来は、平安時代初期に51代平城天皇の皇子である阿保親王がこの土地に居住していたと伝えられており、この地名が付けられた。母は葛井寺(藤井寺)出身の宿弥藤子である。阿保親王は、伊勢物語で名高い在原業平の父親でもある。本殿右側には阿保親王と厳島姫命を祀る親王社と厳島神社があることから阿保親王の居住地と伝えられている。その頃の阿保の土地は丹北郡田坐と呼ばれ水利の便が悪く干害地だったため、農民たちは苦しんでいた。親王は、邸宅の中庭の池を農民に開放されたばかりでなく、灌漑用に改造され、農業生産を奨励したので、阿保の地は豊かになった。人々は親王の人徳を慕って、邸宅の池を親王池(稚児ヶ池)と呼ぶようになった。阿保親王は承和9年(842年)承和の変を防ぎ51歳でなくなられた。「続日本書紀」に、性質は謙退で才能は文武を兼ね絃歌に妙を得ていたとある。垣武天皇の皇女伊都内皇王との間に在原業平、在原行平、大江音人など5人の子供をもうけ、また芦屋市内に阿保親王の墓が残っている。又、三重県青山付近、兵庫県太子町付近にも阿保の地名が残っており、阿保親王ゆかりの地である。



楠の神木
本殿の裏には神木がそびえ立っているが、これは大楠で高さ16m、幹周り4m50cm、根株張6mにも及ぶ巨大なもので天然記念物級のものである。市内の三名木の1つにあげられており、当時植えられたことを物語っている。

本殿
本殿は、屋根が銅版で葺かれた一間社流造りで覆屋内にあり。建立は、社伝によれば慶長13年(1608)の再建を記す棟札があったと伝えるが、現在では所在は明らかでない。少なくとも江戸中期を下らないと考えられている。庇柱は、大きく面を取り、虹梁型三斗組、妻飾大瓶束上の組物とも変則的で珍しい形式。
拝殿は、天保13年(1842)に再建され、平成7年に改修される。桁行5間、梁間2間、入母屋造りの本瓦葺で、中央1間を馬道にとる割拝殿の形式としている。拝殿の天井には様々な樹木・草・花が描かれた珍しい花天井である。
『大阪府の近世社寺建築』などより
拝殿は、天保13年(1842)に再建され、平成7年に改修される。桁行5間、梁間2間、入母屋造りの本瓦葺で、中央1間を馬道にとる割拝殿の形式としている。拝殿の天井には様々な樹木・草・花が描かれた珍しい花天井である。
『大阪府の近世社寺建築』などより